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「チャレンジする気持ちを持ち続けること」

生徒に伝えたいことでもありますし、私自身もこの気持ちを忘れないようにしたいと思って、教育活動に携わっています。保健体育科の私としてはスポーツや運動が生徒との接点になりますが、とりわけスポーツはこういった思いを伝えやすい教科です。「チャレンジすること」から「変化していくこと」を大事にしてほしいという思いがあります。

中学生の頃から漠然と「将来は先生になりたい」と思っていました。当然のことですが、中学生にとって一番身近にいる大人は学校の先生です。その頃の私の生活の大部分は学校という社会だったので、その中で出会う大人に憧れを持ったのはごく自然なことだったのだと思います。「将来は何になりたいの?」「あなたの夢は何ですか?」、そんなふうに聞かれる度に、「将来は先生になりたい」と思うようになりました。

小学校で習い始めた水泳が楽しくなり、中学、高校とずっと水泳に打ち込む

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日々を過ごしてきました。そして、水泳を優先しながら教職への道も選ぶことができる大学に進路を決めました。希望した通りの進路に大きな望みを持って進むことができたのです。しかし、大学3年生の頃です。いざ、「先生になる」ということが目の前に迫ってくるようになると、大きく心が揺れ始めました。一体自分には何が教えられるのか、先生なんて仕事が務まるのか、本当に自分は学校の先生になりたいのか、と不安から自問自答を繰り返すようになりました。一旦、時間をおいて考え直してみよう。そう思って、教員の道から距離を取り、海外に行くことを決めました。しかし、この時の決断が今では、私がこの仕事を続けている大きな理由になっています。

海外に心を向けたのは、変化を求めていたからです。水泳ばかりの毎日から離れてみようと思いました。初めに向かったのはアメリカのイリノイ州でした。中高大と、それなりに英語を勉強して、ある程度自信を持ってアメリカに行きました。ところが、自分でも驚くくらい英語が通じないし、聞き取れませんでした。スーパーで買い物一つできなかったことでひどく落胆しました。学校で勉強してきた英語の授業は一体何だったのか!テストの結果も通知表の成績も全く役に立たないじゃないか!そんな怒りと恥ずかしさを感じたことを鮮明に覚えています。机の上での勉強がこれほど役に立たないものかと情けなくもなり、同時にもっと英語を実践的に使えるようになりたいという強い思いも持つようになりました。

そんな時に確かに私を助けてくれたのは、小さい頃からずっと夢中でやってきた水泳でした。ひとたびプールで泳げば、言葉が通じないことなんて関係ありません。むしろ言葉が通じなくても、水泳があれば友達ができ、英語に触れる機会が増え、自分の中の知らない世界が次々に切り拓かれていく感覚がありました。競技として続けてきた水泳が、明らかに新しい変化を私に与えてくれました。

「二兎を追うものは一兎をも得ず」とは、うまくいった諺です。2つのことを同時に欲張ると、どちらもうまく行かない。欲張らずに、一つのことに全集中しなさいという意味です。しかし、現実社会では、欲張らずに一つのことだけをしておくことはおススメできません。なぜなら、実社会では同時に複数のことに取り組まなければいけませんし、複眼的に物事を捉える力も求められます。何より、変化の激しいこれからの社会では一つのことだけしかできないのでは、どんどん取り残されて行ってしまいます。それゆえ、様々なことに目を向け、欲張って挑戦することは、これからの時代に求められる必須の力なのでしょう。自分の人生を振り返ってみても、「チャレンジする気持ちを持ち続けている人」が魅力的に映り、そういう人に強く影響を受けてきました。

「二兎と追いながら、三兎目も逃さない」あるいは「ついでに鳥も仕留めに行く」くらいの欲張り感が欲しいくらいです。チャレンジする気持ちを持ち続けることが、多くの変化を自分にもたらしてくれるはずです。そういった意味では、「変化することを恐れない」「変わっていくことを楽しむ」心構えも体育を通して伝えたいことです。

時折、学校現場では、あれもこれもやりたがると、欲張りに手を出すのではなく、どれか一つを一生懸命やりなさいと諭すことがよくあります。また、一方に集中するために他方を諦めるということもよく目にします。しかし、私はそのような時にどちらもやれるようにするためにどうしたらいいか考えることが大事だと思っています。「二兎を追うものは一兎をも得ず」のマインドセットを捨て、やるからにはどちらも満足できるように方法を考えることが教員としての役割の一つだと考えています。

大学時代に進路に迷い、モラトリアムに陥った時、チャレンジしようと海外に向かったことは私に大きな変化をもたらしてくれました。スポーツに限らず、音楽やアートはそれ自体が非言語的で言葉が通じなくてもコミュニケーションが図る手段になります。異文化に飛び込んだ時に、ボールがあれば、歌があれば、鉛筆があれば、言葉が通じなくても感情や感動を共有でき、自分の中に変化をもたらすことができます。今では、私はスポーツを通じて、海外と繋がっていけるようなことに大きなやりがいを感じています。

何事も新しいチャレンジをする時には、大きな勇気や覚悟がいります。ズシリと重い一歩を踏み出せるように、あるいは引き下がりそうな時に別の手立てを考えられるように生徒とは関わっていきたいです。

2021年4月 清澤 芳寛 

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